井上雅彦監修『秘密 −異形コレクションLI−』を読みました。

おそろしい、という感情には虹色の気配がある。

とはいえ、その虹色は雨上がりの空にかかる爽やかな虹では決してない。

水面やガラスがふいにつくるプリズムが影の中に踊る様子や、油膜の、ぬらぬらと妖しく光る玉虫色。

それらの色束を、私はただ見ることしかできない。たとえ手に取れるとしても、きっと私は躊躇するだろう。

目を奪われるほどの美しさに遭遇した時の感情は、喜びよりも恐怖に似ている。

ありふれた日常から飛び出してしまう、何かが徹底的に変わってしまう、そんな予感──その先に待つのは大抵の場合、死であるのだけれど、「異形コレクション」で描かれる数多の死は、いつもどこか豊かだ。

「異形コレクション」は「死のコレクション」であるのかもしれない。

形をとらない虹色は、きっと私のすぐそば、背中のあたりにもこびりついている。そんな気がしてならない。

自分の背中は、どんなに首を捻っても見えない。だからこそ、私は「異形コレクション」に魅せられる。

物語から溢れ出る虹色を集めて、自分の色を脳内に描くために──。

『秘密 異形コレクション』

『秘密』には16編の話がおさめられている。さながら食材の美味しいところばかりを贅沢に盛りつけたプレート。言葉にするまでもなく、どこをとっても美味しいのだけれど、今回は特別心に残った5つの物語を紹介する。

・黒澤いづみ『インシデント』

コロナウイルスに罹患したと思われる同僚とのビデオ通話後、画面をオフにし忘れた「私」は信じられない光景を目にして……というお話。

思わず背筋がゾゾゾと総毛立つような「信じられない光景」のリアリティといったらないのだけれど、それを「私」が腹に落としこむ際のものの考え方がキレッキレで痺れた。

  • 遠くないうちに、自粛という名の外出禁止の号令が解かれ、この檻から出て会社へ行く日がくるだろう。
  • そのとき宇治原が何食わぬ顔して席に座っているのなら。
  • 宇治原というシステムを正常に続けていくつもりがあるのなら。
  • ──中味がぐちゃぐちゃに書き換えられていたとしても、余計な部分は触らず保守していくのがら立派な大人の流儀というものだろう。

他人の本性や正体がどうであれ、自分の前で問題なく、今まで通りの同僚として振る舞ってさえくれれば何の問題もない──一見突拍子ない選択に思えるけれど、確かに理屈の筋は通っている。でもでもでも……! と言いたくなってしまう自分は、自分の見ていないところでも正しくその人がその人であってほしい、なんていう、「本当」みたいなものを信じているのかもしれない。

・井上雅彦『夏の吹雪』

世界観が素晴らしくよかった。雪女の雪をマリンスノーだと解釈すると、こんな世界が展開されるのか……。雪女と海底が結びつくのが爽快だった。少女が微笑むさまが浮かぶ最後の一文も、世界観をグッと深めていて好きだ。

・澤村伊智『やまねこ または怪談という名の作り話』

いやー、まんまと悪意を塗りこめられました。こんなにイヤな気持ちになるのに、拍手をしたくなるのはなぜなんだ? 色んな人に読ませたい。さあ君も一緒にイヤな気持ちになろうじゃないか。

・雀野日名子『生簀の女王』

いい設定に出会うと、自分で考えたわけではないのに、元からそうであったみたいに現実の認識が塗り替わる。この話にはデパートの鮮魚コーナーが登場するのだけれど、今度からデパ地下やら生簀を見たら、人の形をとった魚たちのことを考えずにはいられないに違いない。まんまと物語に侵食されてしまった。

・平山夢明『世界はおまえのもの』

最悪な出来事をしでかしてくれやがった後に、別ベクトルの良いものを贈ってきて、「ほらこれでとんとんでしょ?」って思ってそうなところが、人外味たっぷりで非常にいい。でもぜーーーーったいに体験したくない。やだやだやだ!

『世にも奇妙な物語』もそうなのだけれど、他人の人生が壊されるさまを見たい気持ちが人間にはあるんだろうな。頭のどこかで「人生は壊れるはずだ」って思いながら暮らしてるせいだろうか。

人生が壊れてほしいわけでは決してないけど、未来に対する確信めいた不安を抱えきれなくなると、「物語を楽しむ」という能動的な行動でもって、破滅願望を満たしているのかもしれない。

本から息づかいが聞こえてくる

「異形コレクション」を手に取るのは今回で二度目だ。前回読んだのは『蠱惑の本』。

斜線堂有紀『本の背骨が最後に残る』を目当てに手にしたのだけれど、平山夢明『ふじみのちょんぼ』や北原尚彦『魁星』など、本を中心に繰り広げられる仄暗い世界にたちまち魅せられ夢中で読んだ。

一から十まで、すべてひと息に読んでしまいたい気持ちと、物語をいつまでも開きたくない気持ちの狭間で、ゆっくりゆっくり、ひとつずつ、噛みしめるように読んだのを覚えている。

「異形コレクション」には重量がある。『そこにある』という感覚が他の本よりもずっとずっと強い。

体温さえあるように思う。モルモットやウサギほどの存在感をもって、部屋の隅で静かにしている。息づかいさえ聞こえてきそうで。

「異形コレクション」はまだまだ他にもたくさんある。そのすべてがこれまでの二冊のように生きているとしたら……。考えるだにちょっと怖くて、思わず、ふっ、と微笑んでしまう。

本日のお隣本

  • 井上雅彦監修『蠱惑の本 −異形コレクションL−』
    『蠱惑の本』であって、『蠱惑の物語』でないところがミソ。物語は破壊できないけれど、紙束である本ならば破壊できる。所有もできる。長い時を越えて、別の所有者の手に渡ることも。
     本だからこそ巻き起こせる物語の渦に巻かれるのは、端的に言ってサイコーです! 本好きを自称するそこのあなた、ぜひとも読んで見てくれー。
  • マツリ『ばけもの夜話づくし』
    「秘密」つながりでこちらの漫画を。不思議な旅館・叢雲屋。そこに迷いこんだ人々が宿代として求められるのは自身の「秘密」……。
     今回紹介した『秘密 −異形コレクションLI−』でもそうであったように、人によって、時と場合によって「秘密」って様々なんですよね。作中に登場する「秘密」は時にあたたかく、時にグロテスク。宿屋の大将はなぜ「秘密」を求めるのか、大将の正体は一体なんなのか……物語の完結を見届けた今も、時々、ふと考えてしまう。
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