戌井昭人『どろにやいと』を読みました。
本日取り上げる本のタイトル『どろにやいと』。てっきり造語だと思っていたら、なんとなんと、ことわざでした!
漢字にすると『泥に灸』。無駄なこと、無意味なことを意味する言葉だそうです。てっきり呪文みたいな禍々しい言葉なのかなって思ってました。どろにやいと、どろにやいと、どろにやいと……唱えていると、暗がりから蛇とか出てきそうじゃないですか?
妙な主人公
純文学作品は大抵の場合において事の運びが静かであるのだけれど、本作は特にストーリー展開が穏やかというか、淡々としているというか……妙。
これには、主人公である「わたし」の為人がおおいに関係している。
ここでちょっと本作のストーリーをざっくり説明しておくと、タイトルを体現するかのごとく、「わたし」の試みはことごとくうまくいかない。すごろくでいうところの『振出しにもどる』、『◇マスもどる』を延々と繰り返す、そんなような感じです。
思わず「うがー!!」と叫んで、地団駄を踏みたくなってしまうような出来事が続くのですが、主人公である「わたし」は一味違います。
なんとなんと、「はぁ」「そうですか」といった淡白なリアクションで済ます。けれども、器が大きいという雰囲気でもなく、すべての物事がただただ淡々と主人公の肌の上を滑っていくのです。それに加えて、丁寧な敬語で人と話している様も、礼儀を重んじるという風でもなく、狐が人の真似事をしているような奇妙な雰囲気。
……そう。現象より何より、主人公がなんか変。
いや、至って普通の振る舞いなんですよ? 仕事であるお灸の行商はちゃんとこなしてるし、初対面のお客とも終始敬語で会話する。押しに弱かったり、バスをあと一歩のところで乗り逃したりっていうミスもあるけれど、それでひどい悪態をついたりとかもなくて。
良い人なんです。なんですけど、「良い人である」と感じられること自体が奇妙に思えてくる。
それだけに、なんか変だな、妙だな、引っかかる……を積み重ねてできたダムが決壊するようなラストの爽快感が半端なかった!
ぱーっと、光が差す。不安に閉ざされていた五感が外に向かって開く。音が戻ってくる──じっと鑑賞していた絵画の前から、一目散に走り出すみたいな躍動感がたまりません。
主人公が危機から脱せたかどうか明かされないまま物語は幕を下ろすのだけれど、主人公の存在感が妙に希薄だった前半~中盤までを追っている時よりもずっとずっと心が凪いだ。
そうだ、人生って馬鹿馬鹿しいものだった
子どもの頃は走ってばかりいた。小さな公園。見慣れた景色の中で走ることが楽しかった。心臓がどこにあるか、今よりもっとわかっていた。
そうだった。人生って馬鹿馬鹿しいんだった。
どんなに緻密に計画を立ててもうまくいかない時はいかないし、偶然出会った場所や人が一生ものになったりする。
「わたし」のように土砂崩れに巻き込まれる。それはもうほんとに最悪で、できれば一度も経験せずに人生を終えたい。悪い目には合いたくない。家に帰ろうと思ったら、ドラマとかいらないから、淡々とその通りになってほしい。
……ああ、でもそのすべてを絶対に叶えることはできないんだな。
たぶん、私はそう思えたことが清々しかったんだ。この物語を一気に好きになってしまった。
道がなくなってしまうことが救いになることもあるのかもしれない。何もうまくいかない果てに見える未来もあるのかもしれない。本作を読むと、理由とか理屈とかうっちゃって、そんなこともきっとあるって思えてくる。
命を落としかけて初めてわかること
最後に、作中で一番好きだったシーンを引用して終わりにしよう。
- いまわのきわであるかもしれない状況で、わたしが省みるのはこの程度のことで、薄っぺらい人生のクセに、生に対する執着は鬱陶しいくらいあって、地獄にだけは堕ちたくない。なんて思っているのです。
死にそうにならないと生きてることがわからないのはバカみたいだけれど、バカなのが自分なんだよな。どうにかこうにか、『自分』を生きていくんだ。私も「わたし」みたいに。
これを書いてて、湧いてくる感情のことごとくがなかなか言葉にならなくて苦労しました。でもきっとこれが正解なんだろな。「言葉にできるなら小説にしなくていい」って小川洋子も言ってた! 言葉で表せないものが見たくて、私は本を読んでいるのだーー。
本日のお隣本
- 村田沙耶香『コンビニ人間』
読後の、溜めに溜めたバネを解き放つような爽やかな心地がひじょーに似ております。村田さんの作品の、こちらの固定概念を大ぶりのハンマーでごりごりにぶち壊してくる勢いが好きです。何気なく手に取った『殺人出産』の衝撃はいまだ忘れられません……。
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