春の和菓子いろいろ

ある時ふと思った。練りきりって、なんで花の形をしてるんだろ?

ケーキの中には花を模してデコレーションされたものもあるけれど、基本的なホールケーキやカットケーキはそれ単体で花や情景を連想させはしない。フリルやレースを豪奢に重ねたような華やかさが目立つ。

対して、和菓子の練りきりは、季節の花や果物、情景をモチーフにしているものが多い。もちろん、生クリームと餡子という素材の性質ゆえという部分もあるし、茶の湯の文化の影響もあるのだろうけれど……よくよく考えると「花を食べる」、しかも花そのものじゃなくわざわざ餡子で作ったものを、って、何だか不思議じゃない??

その理由のほんとのところは分からないのだけれど、有岡利幸『ものと人間の文化史一六八  椿』という本の中の一節に出会って、なぞが少し解けた。

渡辺実著『日本食生活史』によると、平安時代になると今日の菓子にあたる唐菓子とか唐果物とよばれるものが食べられるようになった。菓子はもとは樹木の種実や果実であり、これを木果子といっていた。唐菓子は植物の果子に似せて、糯米の粉、小麦粉、大豆、小豆などで菓子をつくり、油であげたものである。有岡利幸『ものと人間の文化史一六八  椿』

──そうか! 元々お菓子というのは、本物の木の実や果物だったのか!

砂糖やそれで作られる菓子を普通に手に入れられる現代を生きてきたものだから、これが当たり前ではなかった時代があったことに全く思い至らなかった。

長い年月を重ねて尚、和菓子全般が華やかな装飾へと舵を切らなかったのは、木の実や果物に由来させよう、という古の理念が今尚根底にあるからなのかもしれない。

昔の人が唐菓子を初めて目にした時はどんな気持ちだったんだろ? 「木の実にそっくりだ!」って驚いて、口にしてその食感や味わいにもう一度驚いたんだろうか?

和菓子屋に並んだ小さな菓子たちを眺めながら、そんなことを思う。和菓子、奥深いです。

……とまあ、長々話しましたが、言いたかったのは和菓子が好きってことでして。この春に食べたものを中心にまとめてみました!

『栗の家本家 本店』名古屋市千種区

〈桜餅(長命寺)〉初めて長命寺食べた! 道明寺も置いてあった。
〈イチゴ大福〉白餡にまるまる1個のイチゴ。

『亀吉紀』名古屋市千種区

〈本わらび〉とろとろのわらびもちの中に水ようかん風味のあっさり餡。
〈栗の実(栗饅頭)〉
〈どら焼き〉

去年の秋頃からだろうか。街の和菓子屋へちょくちょく出向くようになった。

和菓子は昔から好きだ。何よりお茶との相性がいいし、ひとつひとつが小ぶりなところも、ちっこい胃袋に優しい。スーパーで売っている団子や饅頭は普段から食べるし、旅先で有名な和菓子屋に立ち寄ってちょっと贅沢をしたり、甘味処で一服することもある。

和菓子屋に行くと毎回驚く。

季節の花や情景を模した練りきり、羊羹の類も数種あるし、季節限定・その店限定の珍しい菓子もあれば、保存の効く焼き菓子やあられもある――とかく品数が多いのだ。

ばら売りされているものは、大体が1個150円前後とお手頃価格なのも相まって、ついつい何個も連れて帰りたくなるから困る。しかし、胃袋はひとつ(しかも常人以下のスペック)&生菓子は日持ちしない。

あれは美味しそうだけど粒餡かぁ……、あれとあれにするか、いやどうせならここの名物に挑戦するか……、いや、あるいは…………静まり返った店内(どこの店もBGMを流していないし、客は自分ひとり)で、ショーケースの向こうに立つ店員さんの視線を浴びながら長考する時間はなかなかスリリングだ。

あらゆる選択肢の中から選びとった和菓子たちは、もうそれだけで可愛い。お店で包んでもらったプラスチックケースの中で、ちんまりと丸っこく肩を並べてお茶の時間を待っている、その姿を眺めるだけで私はにっこりしてしまうのだ。

今日も私はよい選択をした。和菓子がさずけてくれる大きな自信が、日々尖りがちな生活の角を丸めてくれている。

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