梨木香歩『f植物園の巣穴』を読みました。
今年の、個人的ランキング上位に食い込むであろう1冊を紹介させてくれー!
梨木香歩との出会いは学生の頃。最初の1冊である『沼地のある森を抜けて』のインパクトは鮮烈で、ぬか床から卵……?? と、頭に湧いたクエスチョンマークが耳の穴から溢れるほどだった。
そこからしばらく時間を置いて、今度はエッセイストとしての梨木香歩にハマった。『エストニア紀行』の旅情に惚れて、『水辺にて』、『渡りの足跡』と、彼女の目耳を借りて、知らない水辺の匂いを嗅いだ。
そして今回手にとったのは『f植物園の巣穴』。作者の動植物に関する造詣の深さが発揮されているであろうことが窺えるタイトルに、期待が高まる。ホクホク顔でページをたぐり始めたのだけれど……
これが、まぁ、読みづらいこと、山のごとし!
ちょうど私の体調不良が続いていたということも重なって、毎日のように本を開いては見るのだけど、二、三ページ進むだけで精一杯
、という有様。193ページの単行本を読み切るのに、丸々1ヶ月かかりました。
どうしてこんなにも読みづらいかといえば、作中時間の進みがとーーーーーっても遅い! というのも、この『f植物園の巣穴』、夜みる夢をそのままそっくり、筋道立てずに文章化しました! といった具合の、なんとも不思議なお話なのです。
夢に合理を求めるのが馬鹿馬鹿しいように、このお話に「時系列がおかしい!」、「その現象は科学的に間違っている!」と目くじらを立てることこそ不合理なのだとはわかっていても、
主人公が罹っている歯医者の奥さんが突然犬になり、回想が回想を呼んで記憶を辿るうちに朝が夜になり、主人公の身体が子どもサイズになり、果てはカエルだか何だか分からない生き物まで登場し……と、道理や合理の通じない展開の連続に、頭がくらくら。
それでもなぜかこの物語を諦められなかった。
どうにかこうにか結末に辿り着き、もう一度最初から読む。すると、どうだろう。読める読める。するする読める。苦痛さえ伴った文字列のひとつひとつが、しみじみと肌に馴染む。再読を終えるころには、私はこの本が大好きになっていた。
- とぐろを巻いているのは時間だ。暗闇ではない。突如私の脳裏にこの考えが直感的に入った。この数日の私の置かれた状況が何より雄弁にそれを物語っているかにも思えた。このとぐろを直線のそれに戻さなければならぬ。そうすることによってしか、このわけの分からぬ境涯から脱する道はなさそうに思えた。
主人公は『このわけの分からぬ境涯』を探るうち、自身を取り巻く不可思議な出来事を「そういうもの」として、徐々に受け入れていく。数多のなぜ、どうしてを手放していく中で、どこかおかしい世界と主人公との間で際立っていたコントラストが、だんだん小さくなっていく。
世界の法則が混沌を極めるほど、世界は静かに柔らかくなる。
物語の終盤に主人公がたどり着いたひとつの考えが、私は好きだ。
- 確かなものなど何もない。人はいつでもぎりぎり人の形を保っているのである。一寸揺すられれば異形の正体を現す。雌鶏頭にも犬にもなろう。子どもの体躯にもなろう。生きるということはそういうことなのである。
「大人とは、社会人とは、人間とはこういうものだ」という、どこかに明確に示されているわけでもない曖昧な基準を、普段私たちはなんとなく意識しながら生活している。だからこそ、社会は一定の法則性をもってまわっているとも言えるかもしれないけれど、反面そこには、基準から外れたら終わり、のような、うっすらとしたプレッシャーがつき纏う。
私はこの物語を「こういうあらすじだ」と端的に言い表すことができない。言い表せてしまったらいけないと思う。だって、人間という生き物は、複雑で、気持ち悪くて、かわいくて、綺麗で、弱くて、怖くて、強くて、訳がわからない存在だから。
だからこそ、少しばかり窮屈な基準が必要なのだろう。他人と関わるときは、オバケ同士の異種言語では言葉が通じないから、みんな「大人」みたいな顔をして、何かしらのルールに則ってコミュニケーションをとる。
でも、ひとりで本を読むときはオバケでいいじゃないか。子どもに戻ってもいいし、犬でもネコでも、チュパカブラでも、何でも好きになればよい。わかりやすさを捨てても大丈夫。というかむしろ、ゾクゾクするほど面白い。それはなんだか、「お前はお前であればよい」と言われるようで、とてもとても心強いのだ。
『f植物園の巣穴』、ひとりの男が人間になる物語でした。ホモソーシャルから抜け出すという視点とか、男が落ちた巣穴と歯に空いた穴との関連とか、語りたいことは尽きないけれど、キリがないので今日はこの辺で。
思考をあっちへこっちへ振り回されたい、他人の頭の中を覗いてみたい、という方におすすめです。
同じ作者の『椿宿の辺りに』が本作の姉妹作という噂を耳にして、今からホクホクです。読んだらまた記事にしますー。
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