仲村つばき『ベアトリス、お前は廃墟の鍵を持つ王女』を読みました。

こちらを見すえる大きな瞳に惹かれて手に取ったこちらの本は、重い定めを未来への鍵へと変えて、血の物語の外へと旅立つ、ひとりの王女のお話でした。

女の幸せを解く男たち

主人公は、王族による共同統治が行われる国・イルバスにおいて国を治める王族のひとりであるベアトリス。

ともに王冠をいただく兄・アルバートと、二年後に戴冠予定の弟・サミュエルの間に挟まれるベアトリスは、中間子として二人の対立を激化させまいと、日々頭を悩ませている。

西洋の物語にお姫さまは付きものだけれど、王として国をおさめる立場の女性が主人公、という物語にはあまりお目にかかったことがない。

本作のベアトリスは王として執務をこなしてはいるけれど、兄に従うよう促されたり、弟の陣営の者との結婚を望まれたり──多くの物語に登場する姫・王女がそうであるように、女らしく、男兄弟の一歩後ろを歩くべきだ、と日々プレッシャーをかけられている。

『結婚して幸せになればいい』、『おかざりの王として、兄の指示にしたがっていればいい』。

ベアトリスに関わる男たちは、彼女の意思を骨抜きにしようとする時、ベアトリスに代わって女の幸せを解く。

「政治から手を引けば幸せになれる」と口にしながら、自身はしっかりと政治の手綱を握っている。男たちの語る実体のない幸せが、ベアトリスの頭上を無数に行き交う。

王としてのベアトリスに声をかけるのは、側近であるギャレットと、彼女の住まう城・廃墟の塔の従者たちばかりだ。

廃墟の塔の鍵

ベアトリスの手には、祖父から託されたひとつの鍵がある。

それは廃墟の塔の地下施設に出入りするためのもので、そこには先の戦時中に得た、他国産の武器の数々が秘密裏に納められている。

彼女はその武器庫の存在が対立する兄と弟の新たなの火種にならぬよう、ひた隠してきた。

しかし、物語の終盤、秘密の武器庫の中味は意外な展開で日の目をみる。

ベアトリスが内乱の火種として抱えていた武器群は、同盟国を戦乱から救う手立てとなり、ひいては自国・イルバスに降りかかるかと思われた火の粉を払う傘となったのだ。

ベアトリスから従者・ギャレットへと託された鍵の行方が明かされた時、長い間抜けられなかった森の中から、ぽーん、と外に弾き出されたような──あるいは何年も締め切っていた部屋の扉を開け放ったかのような、爽快な気分が胸を吹き抜けた。

この物語がベアトリスという一人の人間として私の目の前に現れたなら、勢いあまって抱きついていたかもしれない。それくらい胸がすく思いがした。

思いもかけない選択肢

武器庫を開けるか、否か。

武器庫の存在を明かすか、否か。

武器を兄弟たちに渡すか、否か。

武器を兄弟たちに向けるか、否か。

廃墟の鍵をめぐるベアトリスの逡巡は、いつも両極端だった。

彼女の視野狭窄に読者である私もいつの間にかリンクしていたのだろう。ベアトリスがこのまま秘密を隠し通すか、兄弟と刃を交えることになるか──物語の辿る運命は二つに一つだと思っていた。

しかし、彼女はそのどちらも選ばなかった。身内に向けるしかないと思われた武器は国の外、目前に迫る脅威に向けられ、ベアトリスは廃墟を離れ、新しい地での人生をスタートさせる。

その決断のきっかけとなったのは、ベアトリスの側近・ギャレット。幼い頃、ベアトリスに窮地を救われた彼は貴族ですらない。彼を自身の王杖──王に次ぐ最高権力者──とすることを決めたことから、ベアトリスの運命は徐々に変わり始める。

ともに風を起こす嵐

作中には『嵐』という言葉が頻出する。「嵐となって兄弟を飲みこむ」というように、より強い支配力を比喩した言葉なのだけれど、ベアトリスにとっては、平民のギャレットこそが嵐だったのかもしれない。

ただしそれは否応なく相手を蹂躙し、我が物とする嵐ではなく、ベアトリスという嵐と混じり合って尚、勢いを、色を失わない、ともにより大きな風を巻き起こすことのできる、そんな嵐だ。

ギャレットという、血の鎖の外から吹きこむ風を手に入れたベアトリス。彼女は兄弟で争い合う小さな世界を軽やかに飛び出してみせた。そんな彼女を後押ししたのは、厄災の種とされていた武器庫の鍵だ。

道具の使い道は、使い手次第。人を殺すこともできる刃物を使って日々の食事を彩るように、どんなに疎ましく思えるものでも捉え方次第では明るい未来への鍵とできる。

それは綺麗事だと言う人もあるかもしれない。けれど、これは物語なのだ。綺麗事のひとつやふたつ、なくてどうする!

それにこの物語でもそうであったように、往々にして解決策というものは思いもかけない場所からやってくる。自分の思い描く未来は仮定であって、事実ではない。私たちは日々選択をし続ける。少しずつ変わっていく。

綺麗事だって、五年、十年と変化を重ねていけば、いつかは事実になるかもしれない。

私も嵐になろう。内に隠した仄暗い過去を解き放って、聞き飽きた血の物語の外、まだ見ぬ場所まで飛んでいくのだ。

そうしていつか私の廃墟が空になる時が来たのなら。きっと私もベアトリスのように晴れ晴れと笑うことができるだろう。

本日のお隣本

  • 須賀しのぶ『帝国の娘』
     こちらも女の子が政治に関わり、国の行く末に翻弄されるお話なのですが、主人公のカリエは、なんと誘拐された先で無理やりに王子の影武者に仕立てあげられ、王位継承権獲得に奔走させらるという、なんとも不憫な境遇……。涙を流しつつも、なにくそ! と鍛錬に励むカリエの根性に元気をもらえる。
     隣国の王女・グラーシカがちょっとベアトリス味があるかもしれない。二人はいい友達になれるんじゃないだろうかと思ったりする。
  • 吉川トリコ『マリー・アントワネットの日記 Rose』
     かの有名なマリー・アントワネットがもしも日記をつけていたら……という想定で描かれた物語。王宮での出来事を赤裸々につづる様からは、家族や国の役に立とうと頑張る、一人の女の子の姿が浮かび上がる。そうだよな、どんな国の王様も王女様も、私とおんなじ人間なんだよな。歴史上の人物たちにもそれぞれの心が、価値観があった──そんな当たり前の事実が胸にせまる一冊です。
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