西尾維新『ウェルテルタウンでやすらかに』をオーディブルで聴きました。

先月下旬に書籍化されたばかりのこちらの小説、私はオーディブルで聴きました!

再生時間は約6時間。いやー、面白かった!

オーディブルだからこそ抱けたであろう感情もあり、とても新鮮な読書(聴書?)体験でした。

『ウェルテルタウンでやすらかに』あらすじ

町おこしコンサルタントを名乗る怪しげな男・イクマエ ボツゴロウが、作家であるコトホギに依頼したのは『町おこしのための小説の執筆』。

推理小説──作中で自殺者が必ず出る──での町おこしは無理だ、と言うコトホギに、イクマエは「だからこそ!」と晴れやかに告げる──「私は安楽市を自殺の名所にしたいのです!」

1. 声優ってすごい!

朗読は声優の鈴村健一。私の中では『銀魂』の沖田総悟役のイメージが強く、『ウェルテルタウンでやすらかに』を聞き始めた当初は、沖田がまじめに朗読をしているーと、なかなか本編に集中できなかった。人気声優を使うのも考えものだなーなんて思っていたのだけれど。

いつの間にか、沖田の顔がチラつかなくなっていて──それぞれの登場人物が、それぞれの声で喋っているとしか思えなくなっていた。本当に、いつの間にか、である。

主人公の鬱々とした語りに、町おこしコンサルタントを名乗る男の軽薄で大仰な振る舞い、宿屋のオーナーのギャル染みた接客に、自殺をするために町を訪れた少女の、妙に悟り切った、淡々とした喋り方。

それぞれの役に別の声優が当てられているように聞こえてくる。

いや、それよりもむしろ、登場人物たち自身が喋っていると言った方がいいかもしれない。場面ごとに、秘密裏に録音されたデータを再生している、そんな錯覚を起こすほど、物語が事実としてありありと迫ってくる。

私の中で安楽市はまぎれもない事実として、今でも頭の中の日本地図の上に存在している。コトホギ先生の推理小説は本屋を探せば手にして読めるし、ガキドウ キセキの楽曲は今もどこかで誰かの胸を熱くさせているに違いない。そうとしか思えない。

この感覚をもてたのは、書籍でもアニメでも演劇でもなく、オーディブルだったからこそだろう。

この新鮮な体験はしばらく尾を引きそうだ。

2. 作中作好きにはたまらない仕掛け

小説の本文中に登場する作中作と、自分が読んでる本が同じものだとわかる展開が、それはそれはもう好きでして。

しかも今回はオーディブル先行配信作品ということもあってか、『作中作を主人公が朗読する』という展開までありまして……。

一人の声で幾人もの登場人物を演じ分ける、というある種不自然な状況が、最後の最後に、びたっ! とストーリーの中に落としこまれた時の気持ちよさといったらもう……。

これだから西尾維新の追っかけやめられねーです。彼の書く話を読むと、本とか、読むとか、そういうことをどんどん好きになっていく。

本の周辺をこれからも愛していきたいな、とか、そういうくさいこと、思っちゃうんだな、恥ずかしいけど。

3. 日の下に晒された『自殺』

自殺で町おこし! なんていうパワーワード、こんな自然に書ける作家が他におりますか?

ぶっ飛んだ提案を平気でしてくる町おこしコンサルタント・イクマエ ボツゴロウが胡散臭さフルマックスな男として描かれてるところも、これまたいい。

(個人的には『物語シリーズ』に登場する貝木泥舟を思い出した。貝木を好きなそこのあなた、きっとイクマエのことも好きになるよ)

私は希死念慮を体験したことのある側の人間で、だいぶ遠のいた感覚とはいえ、いまだ完全に断ち切れたとはいえず、自殺は交通事故くらい身近な死因だ。うっかり条件がそろったら、ぽっくり逝きかねない。

だからだろうか。

イクマエが案内する安楽市──飛び降り自殺用のタワーや溺死しやすい川、富士の樹海に似せた深い森など、あらゆる自死が許されるどころか推奨される地方都市──の様子は、ある種のユートピアにも思えて、ブラックジョークめいた描写の連続を、なんと不謹慎なと笑いながらも、心が安らがずにはいられなかった。

西尾維新は、誰も言えないことを言葉にしてくれる。『ないこと』にされている事象、人物、境遇が、当たり前の『なんでもないこと』として登場する。

今回の自殺都市・安楽市がむかえた顛末はもちろんのことながらフィクションだ。

だけれど、もしも心底死にたさに囚われていた頃の私がこの物語を目にしたならば──『この物語がこの世に存在している』というだけで、死へ傾きそうになる天秤が少しばかり生の方へバランスを持ち直したのではないか。そう思えてならない。

「死んじゃいけない」とか「生きていればいいことがある」とか、そんな言葉では、今ここにありありと存在する『死にたさ』を抱えて生きる糧にはならなかった。

『死にたさ』は弱さに似ていて。『死にたさ』を恥じて、それを消せない自分を恥じて──もっともっと死にたくなった。

安楽市では誰もが「死にたい」と言える。それだけで生きていかれる人が、自殺志願者の全員とは言わずとも一定層、きっといるはずだ。

「自殺を止める、ではなく受け止める」

西尾維新作品ならではの言葉遊びも交えた言葉がお守りのように今も耳に残る。

希死念慮ってなんぞ?って人も、明日にも死にたいって人も

自殺をテーマにした物語が、こんなにポップで爽快なストーリーに仕上がるのなら、この世に解決できない問題なんてないんじゃないかと思ったりもする。

ん? 楽観的? いいじゃあないか、悲観してたって未来は明るくなりゃしないんだから。

希死念慮ってなんぞ? って人も、条件さえ整うなら明日にも死にたいって人も、この夏、安楽市に思いを馳せようぜ! できることならオーディブルで! きっと新鮮なエンタメ体験になること間違いなしです。

6時間をいっきに聴くのは大変だろうから、きっと数日〜数週間は生き延びられるね。

「死んでもいいけど、生きててもいい」

西尾維新『ウェルテルタウンでやすらかに』

世界には面白いものが溢れてる。死の反対側に娯楽を乗せて、今日もなんとか生きてるかならくんです。

本日のお隣本

  • 西尾維新『少女不十分』
    小説家である僕が語る、「どうすればそんな風にお話を作れるのか」の答えに代わる十年前のトラウマ。最悪な出会いを果たした少女・Uとの7日間。
     今回の本を読んだ後、いの一番に読み返した。『ウェルテルタウンでやすらかに』に通じる物語の芯にグッときたのはもちろんのこと、どちらのお話にも朗読シーンがあるのがいいですね。少女に対するメッセージがより普遍的なものになってるのも十年の時を感じられてファンにはたまらないです。
  • 西尾維新『悲鳴伝』
    『少女不十分』と合わせて思い出したのがこちら。物語の冒頭、主人公・空々空(そらからくう)がカウンセリングを受けるシーンがあるのですが、とある災害によって多くの命が失われたことを『なんとも思えない』自分、そしてその事実を悟られないよう、悲しみや恐怖を偽る自分自身への嫌悪──空々が抱える、普通からズレた悩みは私には他人事とは思えず、ひと息に物語に引きこまれた。タブーをタブーとしない姿勢は『ウェルテルタウンでやすらかに』に通ずるものがある。
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