ポール・ギャリコ『猫語の教科書』を読みました。
ポール・ギャリコ『猫語の教科書』
- 猫が家を乗っ取ってくれていっしょに暮らしてくれるなんて、人間はなんて運がいいんでしょう。猫がどんなに人間のためになっているか、猫ならみんな知っています。
定期的に猫が欲しくなる。
甘いものと同じで、ないならないで生きていけることは重々承知しているのだけれど、同じたんぱく質でできているとは思われないふやふやのお腹や、肉球のポップコーンにも似た香ばしい香り、摩訶不思議なごろごろ音……猫にまつわるあれこれが脳裏をよぎっては、猫! 猫が欲しい! と唸る瞬間が年々増える。
しかしながら、今は色々な事情があいまって、かの生き物を養う役を負うことができない……。
猫カフェに行ってみたり、近所の野良猫たちを横目に散歩をしたり。猫を目にする機会には恵まれている環境ではあるのだけれど、だからこそ、かえって欲求はつのるものでして。
ねこ、ねこ、ねこ、ねこ……! 猫で頭がいっぱいになりかけていたそんな時、ネットで偶然見かけたのが、今日紹介する『猫語の教科書』だ。
『猫語の教科書』ってどんな本?
『猫語の教科書』は、猫による、猫のための指南本。一体なにを指南しているかといえば――ずばり、人間の飼い方! 猫を飼ったことのある人ならば思わず「あるある!」とうなずいてしまう場面が、猫の目線で、猫の誇りたっぷりに語られます。
人間の家をのっとる方法に始まり、お気に入りの椅子を自分のものにするまでの道のりや、人間の心をつかむ仕草や表情、果てには2つの家を行き来する時の注意点まで――猫が人間のそばで快適に生きるための技術が満載です。
猫好きにはたまらない!
一匹の雌猫がタイプライターを叩いて書いた、というだけでも猫好きの私はたまらない気持ちになるのだけれど、加えて、ふわふわの前足でのタイプだったためにしょっちゅう打ちまちがえをしている(目当ての文字のまわりのキーや記号も一緒に叩いたとみえて、原稿は暗号めいていた)という、冒頭の編集者の語りがこれまたいいのです。
猫がちょいちょいと前足を動かしながら書かれた本……そう思うだけで、手の中の文庫本の重みが増して感じられるのは私だけでしょうか?
この本を開いたのは電車の中だったのだけれど、顔がニヤけるのを止められなかった。それはたとえば人間に寝床を用意させる時の描写。
- 私は、この際もう少し彼を訓練しておこうと思いました。そこでそこ毛布でなく、最初の木箱によじのぼって、中にもどってしまったのです。(中略)
- さあやり直し。もう一度考えてごらん。彼はもどってくると、私を箱からどかし、こんどは毛布を箱の中に敷いて、その上に私をのせました。そうそう、正解よ。私がしてほしかったのは、これなの。
言葉の通じない猫の思いを汲みとろうと、ああでもない、こうでもないと、猫のお墨付きをもらうまで試行錯誤を繰り返す……猫と暮らしたことのある人ならば、ああー! あるある! と唸ること請け合いの場面を猫側の視点から語られるのは、なんとも不思議な心地がする。
あー、私はあの時躾けられていたんだなぁと思うと腹が立つどころか、あったかい気持ちになるのはなぜだろう。
猫による人間の躾け方・三選
本の末尾には、大の猫嫌いの編集者がこの本を出版した経緯について「これを読んで猫の本性を知れば、猫好きたちも目を覚ますだろう」と語っている。
しかし、おそらく猫好きを自称する人間のほとんどは、猫に尊大に振る舞われれば振る舞われるほど、ぐへへ、と涎を垂らさずにはいられない人種なわけでして。
次の3つの文章なんか、特にたまりません。
- たとえばしっぽをひらひらさせて、人の足首にまとわりついて、頭をこすりつけるというのもそのひとつ。(中略)これは小さな(いわゆる)よるべなき生き物を救う神さまになった気分の人間の虚栄心をくすぐるので、ひきかえに特別のごちそうや、たっぷりしたおかわりや、おいしいおやつにありつけることでしょう。
- どんな時でも猫が外に出たがっていると気がついたら、家族はしている事をさっと中断しなくてはいけません。だってきちんとした家庭では、猫を最優先すべきですからね。
- 何をするにしても、いったん人間のじゃまを始めたら、人間がそれをあきらめるまでやめてはいけません。こうしてだんだんに、家族は何かをする前に猫に「してもいい?」と聞く、いい習慣ができあがっていくのです。
私たちは猫の本性なんか全部すっかりわかったうえで、猫を愛してしまっているのだ。
猫と暮らすという幸せ
この本を読んでいるうちに、かつて猫と暮らしていたときの気配やまなざしが如実に蘇ってきた。
それはかぎりなく郷愁に似ていて、もう永遠に失ってしまった柔さやぬくみが、肌の上にとめどなく思い出されて、少し痛い。
映像や画像では再生できない記憶が自分の中にはあるらしい。彼との時間が、私の中にはまだ、消えずにある。
- そのくせ人間は自分がベッドにもぐりこむと、猫に足もとにいてほしくなったり、もっとそばにきて丸くなってほしかったりするの。たとえカップルのふたりがいっしょにベッドにいても、まださみしいことがあるらしく、猫に仲間になってもらいたがります。ひとりのときも同じ。そう、人間の感じるこの孤独こそ、猫にのぞましい家庭と奉仕をもたらしてくれる最大の要因です。
- 猫は、暖炉の前で居眠りしたり、起き上がって顔を洗ったり、片すみで静かに遊んでいたり、あるいはただそこにいるというだけで、人の孤独をなぐさめることができるのですから、特別にめぐまれた生き物といえるでしょう。
猫と言葉を交わせたなら。上記のような話に、うんうん、と頷いて、気苦労を詫びて、最大限に感謝を伝えて、へらへらしてたい。
それだけで幸せになれるんだから、人間ってほんと単純で、どうしようない生き物ですね。
本日のお隣本
- 伊藤潤二『伊藤潤二の猫日記 よん&むー』
ホラー漫画家の手による飼い猫エッセイということで、他では見られない、おどろおどろしい絵柄の猫たちが楽しめます。「猫なんか認めんぞ〜!」と言いつつ、妻が連れてきた猫たちにぞっこんになっていく様子はギャグ漫画さながら。ホラーチックな絵柄とのギャップで毎度笑いを堪えきれません。人はこうやって猫に堕ちていくんだなぁ。 - 伊澤雅子(文)、平出衛(絵)『ノラネコの研究』
こちらは子供向けの絵本。とはいえ、身近な存在であるノラネコがどこでどう過ごしているのか、その行動はどんな生態に基づいているのかを、図解や猫視点の絵も交えながら追っていくのは大人になっても楽しい。『猫語の教科書』には書かれていない、外猫について理解を深めるのにうってつけの一冊です。
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