小川洋子、クラフト・エヴィング商會『注文の多い注文書』を読みました。

小川洋子の名前を聞くと、私の頭には車の運転席からの風景が浮かぶ。彼女の本は何冊か読んだことがあるのだけれど、大学に通っていた頃、毎週のように聞いていた、彼女がパーソナリティをつとめる『Panasonic Melodious Library』の印象が鮮やかだ。日曜の朝、まだまだテンションの上がりきらない頭に、彼女の穏やかで明るい喋りが心地よかった。

番組では一冊の本(純文学を中心に児童書なども)を取り上げて、小川さんとアシスタントの藤丸由華さんの2人が感想を語り合う。30分枠とは思えない濃密さで、本を開いて、知らない世界に足を踏み入れていく時の、あの独特の高揚感があった。

何より、小川さんの声がたまらなく好きだった。本を紹介する、というどちらかと言えば単調な、ともすれば熱が冷めてしまいかねない番組内容なのだけれど、毎週毎週、彼女は「本を読むのが楽しくてたまらない!」という声で話すのです。

本・物語を愛している人が自分以外にもいる、年を重ねても人は心を躍らせられる──当時の私は、誰も教えてくれなかった明るい気持ちを感じさせてくれる彼女ことを、遠く離れた場所にいる読書仲間のように感じていたのかもしれない。


4月某日、数年ぶりに『注文の多い注文書』を開いた。小川洋子と、クラフト・エヴィング商會という制作ユニットとの共著で、五篇の物語のそれぞれに、どこか妖しい雰囲気をまとった品々が登場する。

表紙に使われている写真──青白く光るガラス瓶や何かの種子らしき白い粒、紐で結ばれた標本などが収められた古い木箱──からして、どうにもワクワクする。そして、タイトルの記された、赤い扉ページをめくった後に出会う、最初の一行が──

  • その街区は都会の中の引き出しの奥のようなところにありました。

くー。しびれる。もうね、これだけで、好きーってなってしまう。

物語は古めいた路地を抜け、私は私で余白をたっぷりとったページを抜けて、辿り着くのが〈クラフト・エヴィング商會〉。

  • 見れば、その看板には「ないもの、あります」なる謳い文句。
  • 創業は明治で、「舶来の品および古今東西より仕入れた不思議の品の販売」と謳い文句は続いています。

五篇のお話は、それぞれ、注文書・納品書・受領書の3つでひとつ(最終話は注文書と納品書の2つ)の形をとって進みます。とはいえ、『〜書』というのは名ばかりで、いわゆる書簡形式の物語。どの話の主人公も、それぞれがそれぞれの理由で手に入らないもののために途方にくれていて、クラフト・エヴィング商會に助けを求めてくるのです。

この本のすごいところは、それぞれの品ありきで物語を組んでいないところ。末尾に乗っている、著者の方々の対談を読むとわかるだけれど、小川さんが『注文書』という名のもお話を書き、それに答える形でクラフト・エヴィング商會のお二人が「ないもの」を見つけてくる──中にはなかなか見つけられないものもあったりして、本の制作には9年の月日を要したのだとか。

大量のコンテンツが日々投下される現代にあって、素早さ・どれだけたくさん作ることができるかが命題、みたいに思えてしまうこともあるけれど、十年あまりの時をかけて作るものがあってもいいんだなぁと、なんだかその事実だけで別の世界の理に触れるようで、ちょっとゾクゾクしたのでした。


このブログを書くにあたって、久しぶりに『Panasonic Melodious Library』を聞きたいなーとradikoを開いてみたのですが……あれ、様子がおかしい。番組名を検索しても出てこないぞ……?

──なんと、番組は先月の26日で終わってしまっていたのでした!! 好きなラジオ番組が「ないもの」になってしまったーーー。

ただの偶然でしかないのだけれど、もしも私が『注文の多い注文書』を読まなければ、『Panasonic Melodious Library』は今もまだ続いていたのではないか──なんて思ってしまう……。あまりにもタイミングが良すぎて……とほほ。

「あのー、すみません。〈クラフト・エヴィング商會〉では、形のないものも探していただけるのでしょうか?」──東京の路地で「ないもの、あります」の看板を見つけた時には、そう尋ねてみようと思います。

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