落果聖『孤独の城のリリー』を読みました。

  • 「私愛することが解ってなかったんだ。私ね。ブレティラとずっと一緒に居ることが好きだと思ってたの」     
  • 「好きな相手と一緒に居たいと思うのはとても自然な気持ちよ」      
  • 「でも一緒にいて幸せになれないのはきっと愛していないのよね」
落果聖『孤独の城のリリー』

『孤独の城のリリー』に目を留めたきっかけは繊細な筆致のイラストだった。そして物語の冒頭、朝、目を覚ました吸血鬼の女の子が城をひとりくるくると動き回り始めた頃には、このお話が好きになっていた。

おとぎ話が好きだ。簡単には抜け出せない深い森。見たことのない食べ物。社会は魔法や魔術を中心に当たり前に回っていて、妖精だとか獣だとか、そういうものたちと人間が言葉を交わす──実際には見たことも聞いたこともないのに、世界のどの場所よりも懐かしく感じるのはなぜだろう?

『孤独の城のリリー』の舞台も、そんな懐かしくも新鮮な、不思議あふれる魔法の世界だ。

主人公のひとりである吸血鬼の少女(後に、リリーと名づけられる)は巨大な城で、『偉大なる祖』という名を持つ自らの父親の帰還をひとり待っている。その期間は数百年にも及ぶのだけれど、不思議と彼女に悲壮感はない。というより、むしろ楽しそうですらある。

娯楽の限られる城の中で退屈を持て余しながらも、二度寝を楽しんだり、夢日記をつけたり、自作のドールで遊んだり……それは彼女が吸血鬼という、人間の理解の範疇にはおさまらない存在であるからだろうと思っていたのだけれど。


ある日、吸血鬼はひとりの人間の少女と出会う。名前はブレティラ。城の入り口で行き倒れていたブレティラは、リリーの介抱によって元気を取り戻すと「名前がないと呼ぶ時に不便だから」と吸血鬼をリリーと名づけ、言葉を交わすようになる。

リリーにとって予想外だったのは、ブレティラが『偉大なる祖』の威光にまったく興味を示さないこと。リリーのことばかり知りたがるが、『偉大なる祖』と自分とを切り離して考えたことのなかったリリーは、自分の好きなものさえ答えることができない。

自分とは一体なんなのか? 難題に取り組みはじめたリリーは、だんだんと内面に混乱をきたしていく──。

この、リリーの混乱具合がすごく、なんというかこう、リアリティという言葉だとちょっとしっくりこないんだけど、あー…………、あーーー……!! ってなるんですよね。伝わるかなあ?

あ、そうそう、これだこれだ──リリーを応援したくなる。がんばれリリー! どうにか混乱を乗り越えて、ブレティラの手を掴んで──!!

ここでちょっと、あらすじの一部を見てほしいんですけど。

ブレティラと生活を共にする内に、傲慢だったリリーの性格は徐々に温和になっていき前までの生活が孤独で寂しいものだと理解してしまった。

ブレティラと生活を共にする内に、の後に続くのは『人の温かさを知った』とか『愛を知った』でも成り立つところを、『前までの生活が孤独で寂しいものだと知ってしまった』とするセンス、すごくない? 

孤独を抱えたAが、Bと出会うことで変化していく、っていう筋書きは王道だけれど、この一文だけで類似の物語と差別化できるし、今思えば、私はこの一文に無意識のうちに惹かれていたのかもしれない。あらすじって奥が深いなぁ……。


孤独って、『ひとりでいる』状態のことじゃなくて、『ひとりでいる』状態を、『誰かといる』状態──その中でも心安らかで快い状態──と比較して初めて起こる理解だと思うんですよね。

ちょっとここで私事を挟むんですけど、私、つい最近まで「読書は孤独な作業だ」という感覚がわからなかった。

たしかに1人ですることだけれど、孤独ってことはなくない? こんなに楽しいんだし。って思ってました。

けれども、なんやかんやあって、とある人と出会い、ブレティラに出会ってからのリリーのごとく、混乱と喜びと戸惑いの渦を抜けた結果、ある日突然思いました。

──あ、本読むの、さみしいわ。

ここであなたに質問なんだけど、『寂しさ』ってなんだと思う?

きっと人によって答えは様々だろうけど、どうやら私の脳は、寂しさを『五感の埋まり具合』でもって判断しているっぽいです。

視覚・味覚・触覚・嗅覚・聴覚──五つの感覚器官が、好ましい情報で埋まっていればいるほど寂しくない。反対に、ひとつしか埋まっていなかったり、五つすべて埋まっていたとしても、いずれもが不快な感覚であったとすれば寂しさは募る。そういうメカニズム。

本を読む。その時に埋まっているのは、主に視覚。私の場合、紙の本であれば触覚と、若干嗅覚も埋まる(電子書籍を閲覧する時のタブレットの手触りはちょっと苦手)。

対して、好ましい人物と言葉を交わしながら食事をするときには、私の五感のほぼすべてが快い情報で埋まる。

読書の時の感覚数は1(+1〜2)。人との食事の時の感覚数は5。楽しい会食の直後に本を開くと、その感覚数の落差でもって、私は強烈な寂しさを感じる、という訳なのです。

(感覚が埋まるってことは、その分エネルギー消費が激しいってことでもあるので、寂しくない状態がベストかというとそうでもない。私は元々のエネルギーが少ないので、むしろ寂しいくらいがちょうどよかったりする。今もばりばり本読むしね)


ちょっと脱線しすぎたね。ここでリリーとブレティラの話に戻ろう。

  • リリーはブレティラをお姫様だっこした。
  • 「私が運ぶから」
  • 「重くない?」
  • 「重いから良いの。貴方といると知るのと感じるのって全然違うって解る。貴方と会ってから私ってば混乱してばっかりだったけどようやく解ったの。これが知ることなんだって。今の私はとっても不安だから貴方を感じさせて、不安を忘れさせて」

このシーン、好きなんだよなぁ〜。
リリーがさ、ブレティラの体温や柔らかさ、匂い、重さを全身で感じてるんだなーって思ったら、ああーーってなるのです(今日は唸ってばっかりだ)。

いなくならないとか、分かりあうとか、そういう複雑なことを言葉でやりとりするのは、きっとこの時点のリリーには難しい。色んな不安でいっぱいいっぱいになりながらも、ブレティラに触れている──五感がひとつでも多く埋まっている──間は心が安らぐのだろう。

彼女がブレティラとの永遠を願う気持ちが切に響いて、幸せを願いたくなるんだよな。「大丈夫だよ」って声をかけたい。──あるいはそれは、過去の自分自身に対してなのかもしれないけれど。

あと最後にこれだけ! ここの表現がとっても好きで。

  • 「どうせなら人魚姫みたいなのが良かったな」
  • 灰になったら捨てられちゃうけど、泡だったら海になれるから、ブレティラと海にいきたいな。泡だったらブレティラが海に来てくれるだけで私もブレティラに会えるのに。

リリーは体が朽ちるとわかっていて自ら城の外へ踏み出した。自暴自棄に思えるし、城に留まってブレティラを待つこともできたじゃないか、残されるブレティラの気持ち考えてあげてよー! って、もう色んなことを言いたくなる。

でも、リリーは『泡だったら海になれる』、『そしたらブレティラに会える』って言う。つまりは、体がなくなっても、リリーはブレティラに会うつもりでいる。彼女にとって、体があるとかないとかは瑣末ごとで、城から出ることは前向きな、ブレティラとの関係を続けるために必要な選択だった。この四行だけでそのことを納得させられて、私はただただ、あーあー言うだけのバケモノになる。

長生きは幸福の絶対条件ではないと頭ではわかっている。でも、私はリリーじゃないから、彼女の幸福がほんとのところではわからない。──そのことが悲しくて嬉しい。世界には自分の知らない幸せがあると教えてくれるお話が私は好きだ。

今回はリリー側の話ばかりしてしまったけれど、ブレティラの決断・愛の形もすごくよいです。お話に散りばめられた仕掛けも面白いんだー。この記事読んだ後でもきっと楽しめるから、ぜひ読んでくれー。Kindle Unlimited で読めるよー。

本日の勝手に関連本

『孤独の城のリリー』を呼んで気づきました──私、どうやら、孤独を抱えたキャラクターが好きらしい。特に、深い孤独に連なる執着をこじらせてるキャラが好きです。そこから連想したのが以下の2冊。どちらもシリーズものの第1巻です。

  • 雪乃紗衣『レアリア』
    主人公のミレディアを始めとして、全員が全員、何かしらの孤独や諦念を抱えてるところがすごくよくて……。全体的に静かに展開していくのに、登場人物たちの感情のうねりに気づけば飲み込まれている。
    今回のブレティラのように、何かしらの使命があるが故に、大事な人に自分の全部をあげられない……そんな葛藤がつきまとう愛の形が好きな方にもおすすめです。
  • 宮野美嘉『蟲愛づる姫君の婚姻』
    政略結婚をきっかけに出会った2人が時を経て愛し合うようになる……というお話は昨今珍しくないわけですが、同系統の物語をすでに経験済みの方にも自信を持っておすすめできます!
    「愛とは綺麗で良いものだ」と思っていると火傷します。ひりひり、どろどろ、粘度の高い愛の話を欲している方いましたらば、読んでみてください。
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